3・11反原発福島行動’21に参加
3・7群馬さよなら原発アクションは、500人をこえる参加者で元気の出るメモリアルイベントとして実現することができた。この集会で、被曝労働拒否で労働組合が先頭で闘おうとアピールしてくれた動労水戸の仲間たちとともに、高崎金曜日行動の仲間も3・11反原発福島行動’21に参加した。2人の女性が初めて福島の地を踏んだ。
集会では、飯館村の元いいたてふぁーむ管理人の伊藤延由さん、三春町の写真家の飛田晋秀さん、南相馬市の小高赤坂病院院長の渡辺瑞也さん(体調不良でふくしま共同診療所・布施幸彦さんが代読)が、佐藤幸子さんのコーディネートでトークセッションをした。参加者全体で福島の思いを共有した。
中国から日本に来て、3・11後にも福島に音楽で支援活動を行ったというお二人のステージ。サージュさんの「この街で」に涙する人も多かった。グオミンさんの揚琴は会場全体を感動に包んでしまった。思いのこもったステージだった。
三里塚の市東孝雄さんのアピール、星野暁子さんのアピールに続いて、子ども脱被ばく裁判原告の佐藤さんとNAZENヒロシマ保科さんからの「黒い雨訴訟」の特別報告。ちょうどこの日に子ども脱被ばく裁判の控訴が行われている。動労水戸のアピール。途中、椎名千恵子さんがステージに立って、14:46、黙とう。
地元の稲葉隆一さんのサックスに続いて、浪江町・希望の牧場の吉沢正巳さん、ふくしま共同診療所院長の布施幸彦さんから、ふくしまの決意。
集会宣言を採択して会場の開成山公園から郡山駅へのデモ行進へ。2/13の余震で、震災以来あまり手を入れられることもないまま老朽化した駅前ビルのひび割れが目につく。それを抜けると、今年も右翼が駅前で日の丸・旭日旗を林立させて、デモ隊に罵声を浴びせる。原発なくそう、被曝させるな、この声を押しつぶそうとするこの光景にミャンマーの軍隊・警察のことが頭をよぎる。
そういえば高崎金曜日行動も5年ほど前までは、毎週右翼が街宣車で乗り付けて必死で妨害していたっけな、初めて参加した女性に右翼のことを聞かれて思い出した。
継続は力!タカキンはあらたな10年目に!
首相官邸前の金曜日行動は今月で終わるそうだ。高崎金曜日行動は2021年3月12日から新たな10年目に入った。始まったのは2012年8月なので、正確には10年にはまだ足りない。かつてはにぎやかだった。多いときは100人近い人が立場をこえて集まった。それから確かに人数も顔ぶれもさみしくなった。中央ロータリーも改修工事で使えなくされてしまった。しかし一度も休まずに、毎週声をあげてきた。3・7群馬さよなら原発アクションの成功で元気が出たし、タカキンを続けてきたことの力を実感できた。
11年目に入ったこの日、福島に初めて足を踏み入れた女性が報告。彼女が話したのは希望の牧場の牛の命のことだった。通りかかった自転車の若者が、財布から千円札を取りだして差し出した。マイクを握って、「たかさき!右も左も関係ねぇ!声あげようぜ!」と叫んだ。
高崎金曜日行動はずっと仲間とつながり続けてきたし、新しい仲間との出会いを作り出してきた。団結と連帯の場としてこれからも発展し続ける。高崎から、今日も韓国・三陟(サムチョク)にエールを送る。
※三陟は、粘り強い反対運動で、原発建設計画を撤回させた町。最後は住民投票で勝利した。現在、原発に代わって、火力発電所建設計画が、自然を破壊して、強行されている。サムチョクの仲間たちは、再び立ち上がっている。高崎金曜日行動の仲間が縁があってサムチョクを訪問、それから交流を続けてきた。高崎金曜日行動は、連日の火力発電所建設計画白紙撤回に立ち上がるサムチョクと連帯し、毎週ボードをもってエールを送っています。
サムチョクから
「あらたな10年目にチャレンジ・高崎金曜日行動」への1件のフィードバック