東京高裁不当判決への怒りのなか関東大震災朝鮮人犠牲者98周年慰霊祭

弁護団長の角田義一さん(左。元参議院副議長)。「84歳だが、死ぬまで闘う」

 8月26日、東京高裁は、群馬県の県立公園にある朝鮮人労働者の追悼碑の設置期間更新を認めない処分をした県に対し、市民団体・『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が認めるよう求めた訴訟の控訴審判決で、県の処分を違法とした一審・前橋地裁判決(2018年2月)を取り消し、市民団体の請求を棄却しました。

 侵略に対する反省をないがしろにし、戦争犯罪の証拠隠滅から始まった戦後の歴史を居直る歴史修正主義が、安倍・菅政権の人事独裁によって、司法をも変質させています。これに対して激しい怒りと危機感が渦巻いています。

 そうした中で、2021年9月11日、群馬県藤岡市にある成道寺において、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭が開かれました。2年後には100周年を迎えます。風化させることなく、最高裁での勝利へ向け、ヘイトと差別を根絶するために、力を結集しましょう。

関東大震災朝鮮人虐殺事件の背景と98周年慰霊祭の意義

1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に関東大震災が発生してから97年が経ちました。震災は神奈川県中部から相模湾東部、房総半島南端にかけての一帯を震源地とするマグニチュード7.9の大地震で激震と大火災の発生により、東京、横浜を中心に死者99,331人、行方不明43,476人、家屋全壊128,266戸、半壊126,233戸、焼失447,128戸、流失868戸と、その他計り知れない被害をもたらしました。

こうした大災害のさなかに何の罪もない朝鮮人、社会主義者の大虐殺が行われました、軍部や当局から流されたと推測される「流言飛語」に挑発された日本人によって朝鮮人6,000余の尊い命が奪われる大虐殺事件が起こされ、当藤岡の地区においても震災直後の9月5日・6日、藤岡警察署に保護されていた朝鮮人17人が虐殺されました。

その後この犠牲者は藤岡町長の依頼により成道寺に埋葬されました。

この寺の墓地には朝鮮人犠牲者の慰霊碑が建てられています。そして先代の住職さん自筆による過去帳に当時の藤岡の「流言飛語」の状況が次のように記してあります。

「9月5日」

「流言に官民やや狼狽の色ありて、各県皆在郷軍人会、青年団、消防団を持って自警団を組織し、各自獲物をもって昼夜警戒す。ただし、警察、役場より通知を発し組織せしむ。なお、警察は自警団に対し朝鮮人を発見次第警察に同行して来たれと命ず、ときに人心激昂の極みに達し、朝鮮人と見れば皆敵国人を見るがごとく、殺気充満す。

たまたま、新町鹿島組配下岩田金次郎方に雇いし者12名、他より5名、当藤岡署に保護す。民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲殺すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時半ごろより10時、民衆数千人警察門前に集まり、留置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす。

なお、6日の夜、民衆非常に激昂し、残りの1人の朝鮮人を留置所よりだし、殺し、警察を破壊し、8時より11時までまったく無警察状況となり、,乱暴すること非常なり,、当夜警鐘を乱打す。18日町役場より命を受け、岡住豊吉(朝鮮人の日本名)ら17名の朝鮮人の死体を集め大葬す。即ち、遺骨は成道寺墓地に埋める。」

以上が過去帳記載の一部です。また、高崎市倉賀野町の九品寺墓地にお1人が埋葬されていることも判明しています。

この藤岡事件の捜査は事件後直ちに開始され、群馬県警察本部は被疑者37人を殺人罪及び騒擾罪(現在の騒乱罪)で検挙しました。前橋地裁の判決が出されたが比較的刑の重かった25人は東京控訴院へ控訴し、東京控訴院判決も不服として9人が大審院に上告しました。大審院の判決は、最高刑で懲役3年が2被告、懲役2年執行猶予4年が6被告、懲役6月執行猶予4年が1被告というもので、一般的には極めて軽い刑でありました。住民37人の検挙と裁判をもって、この虐殺事件のすべてが葬られてしまったのです。

事件の翌年、1924年6月に藤岡町有志によって、成道寺の墓地内に慰霊碑が建立され、盛大な法要が行われました。その後毎年、藤岡町主催で慰霊式が行われてきましたが、戦後に中断され、1957年に破損された慰霊碑が再建され、慰霊式も復活しましたが、これも途中で中断されてしまいました。そして70周年を迎えた1993年に日朝友好連帯群馬県民会議主催による慰霊祭が復活し、以降、毎年慰霊祭が行われてきました。

そして2017年8月5日に地元の藤岡市民によって「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」が結成され、2017年9月の94周年慰霊祭から「共催」による慰霊祭となりました。

藤岡事件から98年を経た今日まで、この朝鮮人虐殺の国による公式な調査は行われていません。現在、関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会などの民主団体が日本政府に対して「関東大震災朝鮮人虐殺の真相究明」を求める運動をすすめています。

そして、犠牲となられた朝鮮人に対する慰霊の祈りをささげるとともに、日本人によるこのような過ちを再び繰り返さないためにも多くの関係地域で「慰霊祭」が毎年営なまれています。

改めて、この事件は、1910年の朝鮮併合によって朝鮮を植民地化した日本は、1923年に発生した関東大震災という未曽有の災害に遇して、差別と圧殺による植民地統治に抗議する朝鮮人蜂起に恐怖と憎悪を抱いた日本政府・軍部による住民を巻き込んでの官民一体となった犯罪であったと断じざるを得ません。

近年に入っても、朝鮮民主主義人民共和国に対する、拉致・核実験・ミサイル等を理由にする制裁と敵国視、韓国政府に対する、慰安婦・徴用工判決問題などによる総パッシングとヘイトスピーチの放任、高校授業料無償化除外、幼保教育・保育無償化からの除外など、依然として朝鮮人差別・敵視政策が続けられています。

このような国の姿勢、政策を断固として変えていかなければなりません。

一方、朝鮮半島では、2018年以降大きくすすめられた平和にむけた動きがここにきて停滞していますが、停滞を乗り越えた新たな動きが作りだされ、一日も早く平和が達成されることが望まれます。

このような情勢のもと、98周年の慰霊祭をここに開催し、犠牲になられた皆さまに心よりご慰霊申し上げ、日朝・日韓の友好と親善を一層進めてまいります。

2021年9月11日

日朝友好連帯群馬県民会議

藤岡事件を語り継ぐ市民の会

朝鮮人強制連行被害者、遺家族協会 からのメッセージ(「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の集い」宛)

今から98年前、夥しい数の朝鮮人が犠牲となった関東大震災朝鮮人虐殺の惨状を顧みて、すべての犠牲者に深い哀悼の意を表します。

日帝の植民地統治によって住み慣れた故郷を離れ、玄界灘を渡った多くの朝鮮人が無残に虐殺されてから、ほぼ一世紀の歳月が流れました。

災難によって生じた社会政治的混乱の責任をどうにか免れるため、朝鮮人が「放火」し「井戸に毒をまいた」といった流言飛語を捏造し、「朝鮮人撲滅」という一大惨殺劇を繰り広げ、想像を絶する数の罪なき命を奪った日帝に対する怨恨と憤怒は、今もなお我が人民の記憶から消えることはありません。

両親の目の前で幼子たちの首をはね、女性たちを裸にして八っ裂きにし、老若男女数百名を船に詰め込み火を放って水葬させるなど、朝鮮人に加えられた残忍極まりない悪行は、日本人でさえ身震いがする野蛮な行為であり、あまりにも無念で腹立たしい犠牲でした。

しかし何よりも耐え難いことは、日本が敗戦し朝鮮が解放を迎え76年が過ぎても、虐殺犠牲者たちの無念と怨恨がいまだ晴らされていないことです。

日本当局が過去清算を回避することによって、関東大震災の犠牲者のみならず、「浮島丸」爆沈事件と松代大本営虐殺事件、東京大空襲と原爆被害など日本の朝鮮侵略史に刻まれた数多くの虐殺事件と惨劇の犠牲者たち、日本の植民地支配によって傷つけられた我が民族の怨恨はいまだに癒されていません。

さらには、過去に加えられた政治的弾圧と迫害、民族的差別がその家族や子孫である在日朝鮮人にも引き続き加えられており、これは犠牲者を再度殺す非道徳的な反人倫的行為と言わざるをえません。

目も閉じることができず非命に死んでいった犠牲者たちの怨恨は、日本当局が我が国と我が民族に犯した過去の罪を誠実な姿勢と立場で良心的に清算し、不当な反共和国、反総聯政策を放棄し在日朝鮮人に正しく向き合うときに、はじめて晴らされるのです。

私たちは、朝鮮民族が強いられたすべての悲しみと苦しみ、苦痛と被害の歴史を絶対に忘れないであろうし、犠牲者たちの恨を晴らすため自らの責任を果たしていくことでしょう。

また、人倫を尊び平和を愛する良心的な日本の方々が、関東大震災朝鮮人犠牲者の不幸と苦痛を重く受け止め、哀悼の意を示してくださることに対して敬意を表します。

祖国の人民と在日同胞が送る追慕の気持ちと日本人民の慰めによって、犠牲者たちが安らかに眠ることを祈念いたします。

朝鮮人強制連行被害者、遺家族協会

2021年9月1日

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