放射能のゴミ捨て場はいらない!

 2022年6月16日、高崎市にあるGメッセにおいて、「高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する対話型全国説明会」が開かれた。2011年3・11以降、たくさんの人々が原発に反対の声をあげた。説明会には、群馬でともに声をあげてきた仲間の顔が多かった。高崎金曜日行動は、ボードを作って、会場入り口の交差点でスタンディングに立った。

 主催は、NUMO(原子力発電環境整備機構)と経済産業省資源エネルギー庁。NUMOに「地域交流部」というのがありそれが説明会を全国で展開している。過去に前橋で2回開催しているらしい。全国で行う、決して高崎や群馬での処分場受入れを要請するものではない、と繰り返した。やれるところで、どんどん説明会をやって、環境整備を図るという狙いが見て取れる。

 4つぐらいの部屋が用意され、それぞれパーテーションで2つに区切る。一つのグループに6人ほどの椅子が用意されていた。何人参加しているかわからないが、全体で50~60人くらいだろうか。

 主催者はビデオを上映し、地層処分は法律で決まったこと、世界での流れ、地層処分は安全、全国で1か所決める、決して地元の同意なしには進めない、時間をかけて議論して決める、そのための説明会で反対も歓迎…といった感じだ。参加者にはアンケートが用意され、説明会前の記入と説明会後の記入を要請される。地層処分は決まったこととの前提で、理解が深まったとの数字とデータを集めるための説明会であることは明らかだった。既成事実の積み上げで最終処分場の決定まで環境整備を図るのだ。 

 説明会では、地層処分は法律で決まったこと、未来の世代につけを回してはいけない、受入地が感謝される環境整備を、などと言われる。これが参加者の怒りを買う。そんなことは原発を止めてから言え、福島の事故をなんだと思っているのか、ということだ。多くの会場で同じような怒りの追及があったようだ。

 そもそも地層処分場建設は100年くらいかけてやる事業だというのだ。それをその時の知事や首長の打算で受け入れさせて、政府はこれで核開発と原発を継続するつもりなのだ。だいたい100年後まで責任を取る気のある人間など誰もいない。上も下もみんな自分に与えられたミッションをこなすだけ。福島の原発事故と何も変わらないのだ。原発建設と同じように、欲と打算で受入れに走る奴らが必ず出てくる。全国で反対の声をあげよう。

4/22の高崎金曜日行動(508回目)

ロシアのウクライナ侵攻を許さない。「一片の領土も渡さない」というゼレンスキーも許せない。戦争は、支配者たちの支配の欲望から始まる。これと立ち向かうの労働者市民の反戦闘争と国際連帯。

岸田政権の防弾チョッキやドローンのウクライナへの支援は、全面的な軍事支援・武器輸出の道を開くもの。改憲と参戦に突き進む支配階級を許してはいけない。

群馬合同労組 メーデーアクション2022へ

2022年4月8日高崎金曜日行動は506回目

 ウクライナの戦争をめぐって、世界と日本は歴史の大きな曲がり角にある。

 ロシアは悪い。侵略戦争を開始したプーチンは万死に値する。

 しかし、米・NATO、ウクライナ・ゼレンスキーは同等に許しがたい。

 それを持ちあげ、あたかも「人道主義」「正義」を体現するかのような顔をしている日本政府とメディアは最悪である。

 

 実際に戦争が始まると、それまで戦争反対と言っていた人たちが、この戦争は正義の戦争だから賛成すると言い出す。第一次世界大戦の時がそうだった。マルクス主義や社会主義を掲げていた人たちもそうだった。それに対して「革命的祖国敗北主義」を掲げて、この戦争は強盗どもの戦争だ、戦場で殺される兵士(軍服を着た労働者)と労働者の連帯で自国の強盗政府を倒そうと檄を発し、革命に勝利したのがレーニンであり、ロシア革命だった。その呼びかけは世界中の労働者階級民衆にこだまして、革命と民族解放闘争の爆発に発展する。レーニン死後、これを裏切り強盗の仲間入りをしてしまったのがスターリンだった。

 今、戦争が実際に始まると、憲法9条を守ろうという運動は吹き飛ばされそうだ。戦後もアメリカの戦争とアジア支配の元で守られてきた日本の戦後民主主義とは何だったのか、今一度ワールドワイドな視点で総括して、今こそ戦争反対を叫ばなければならない。人類の未来をかけて。

 原発反対もつながっている。今こそさけぼう、原発なくせと!

高崎金曜日行動は490回目、現状だよりは600号!

 ブログの更新が止まってましたが、高崎金曜日行動は休みなく、2021年12月17日で490回目でした。「原発事故・現状だより」の方は先週12月10日号で600号でした。

 今日は冷たい強風で大変だと思っていたら、途中で雨が降り出した。少し時間を早めて終了した。片づけたらたどり着いた人が二人いた。今日は道が混んでいたから。

 欠かさずにタカキンに参加してくれていたMさんが病気で入院してしまい、みなで心配している。早く良くなってほしい。

 その穴を埋めるかのように、サーカス学校のけんたさんが突然現れた。うれしいですね。こういう再会は。サーカスもコロナでとても苦しかったと話してくれた。

 最近、訃報や病気の話が多く気が滅入る。しかし、11年目の3・11に向け群馬の実行委員会も10月から動き出した。

 コロナ。そして気候変動。10年で、この社会の危機はバージョンアップしている。

 3・11以降10年の原発再稼働と原発に反対する闘いや福島の闘いが何だったのか、今一度検証と総括が必要だろう。まだまだ継続し、発展させていかなければならない。

 12月11日には、茨城県の東海第二原発の運転に反対する一斉行動に高崎・群馬からも参加した。原発避難者の群馬訴訟原告団長・丹治さんのアピールはやはり力がある。

高崎金曜日行動と群馬合同労組街頭宣伝と現状だより

高崎金曜日行動は477回目

その前に群馬合同労組は街頭宣伝行動。訴えはちゃんと届いている手ごたえあり。

原発とめよう群馬 原発事故・現状だより 9/17号