どうなる、日本の食物と農林水産業?農業を考える高崎集会
日時 2021年9月19日 13時30分~
会場 高崎市中央公民館・視聴覚室
8月26日、東京高裁は、群馬県の県立公園にある朝鮮人労働者の追悼碑の設置期間更新を認めない処分をした県に対し、市民団体・『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が認めるよう求めた訴訟の控訴審判決で、県の処分を違法とした一審・前橋地裁判決(2018年2月)を取り消し、市民団体の請求を棄却しました。
侵略に対する反省をないがしろにし、戦争犯罪の証拠隠滅から始まった戦後の歴史を居直る歴史修正主義が、安倍・菅政権の人事独裁によって、司法をも変質させています。これに対して激しい怒りと危機感が渦巻いています。
そうした中で、2021年9月11日、群馬県藤岡市にある成道寺において、関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊祭が開かれました。2年後には100周年を迎えます。風化させることなく、最高裁での勝利へ向け、ヘイトと差別を根絶するために、力を結集しましょう。
関東大震災朝鮮人虐殺事件の背景と98周年慰霊祭の意義
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分に関東大震災が発生してから97年が経ちました。震災は神奈川県中部から相模湾東部、房総半島南端にかけての一帯を震源地とするマグニチュード7.9の大地震で激震と大火災の発生により、東京、横浜を中心に死者99,331人、行方不明43,476人、家屋全壊128,266戸、半壊126,233戸、焼失447,128戸、流失868戸と、その他計り知れない被害をもたらしました。
こうした大災害のさなかに何の罪もない朝鮮人、社会主義者の大虐殺が行われました、軍部や当局から流されたと推測される「流言飛語」に挑発された日本人によって朝鮮人6,000余の尊い命が奪われる大虐殺事件が起こされ、当藤岡の地区においても震災直後の9月5日・6日、藤岡警察署に保護されていた朝鮮人17人が虐殺されました。
その後この犠牲者は藤岡町長の依頼により成道寺に埋葬されました。
この寺の墓地には朝鮮人犠牲者の慰霊碑が建てられています。そして先代の住職さん自筆による過去帳に当時の藤岡の「流言飛語」の状況が次のように記してあります。
「9月5日」
「流言に官民やや狼狽の色ありて、各県皆在郷軍人会、青年団、消防団を持って自警団を組織し、各自獲物をもって昼夜警戒す。ただし、警察、役場より通知を発し組織せしむ。なお、警察は自警団に対し朝鮮人を発見次第警察に同行して来たれと命ず、ときに人心激昂の極みに達し、朝鮮人と見れば皆敵国人を見るがごとく、殺気充満す。
たまたま、新町鹿島組配下岩田金次郎方に雇いし者12名、他より5名、当藤岡署に保護す。民衆9月4日武州本庄町神保原にて百数十人撲殺の実況を視察し、藤岡もかの例にならい、国賊朝鮮人を撲殺すべしとなし、警察に談判すること数日、ついに夜8時半ごろより10時、民衆数千人警察門前に集まり、留置所を破壊し、16人引き出し、門前にて撲殺し警察に並べて死の山となす。
なお、6日の夜、民衆非常に激昂し、残りの1人の朝鮮人を留置所よりだし、殺し、警察を破壊し、8時より11時までまったく無警察状況となり、,乱暴すること非常なり,、当夜警鐘を乱打す。18日町役場より命を受け、岡住豊吉(朝鮮人の日本名)ら17名の朝鮮人の死体を集め大葬す。即ち、遺骨は成道寺墓地に埋める。」
以上が過去帳記載の一部です。また、高崎市倉賀野町の九品寺墓地にお1人が埋葬されていることも判明しています。
この藤岡事件の捜査は事件後直ちに開始され、群馬県警察本部は被疑者37人を殺人罪及び騒擾罪(現在の騒乱罪)で検挙しました。前橋地裁の判決が出されたが比較的刑の重かった25人は東京控訴院へ控訴し、東京控訴院判決も不服として9人が大審院に上告しました。大審院の判決は、最高刑で懲役3年が2被告、懲役2年執行猶予4年が6被告、懲役6月執行猶予4年が1被告というもので、一般的には極めて軽い刑でありました。住民37人の検挙と裁判をもって、この虐殺事件のすべてが葬られてしまったのです。
事件の翌年、1924年6月に藤岡町有志によって、成道寺の墓地内に慰霊碑が建立され、盛大な法要が行われました。その後毎年、藤岡町主催で慰霊式が行われてきましたが、戦後に中断され、1957年に破損された慰霊碑が再建され、慰霊式も復活しましたが、これも途中で中断されてしまいました。そして70周年を迎えた1993年に日朝友好連帯群馬県民会議主催による慰霊祭が復活し、以降、毎年慰霊祭が行われてきました。
そして2017年8月5日に地元の藤岡市民によって「藤岡事件を語り継ぐ市民の会」が結成され、2017年9月の94周年慰霊祭から「共催」による慰霊祭となりました。
藤岡事件から98年を経た今日まで、この朝鮮人虐殺の国による公式な調査は行われていません。現在、関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会などの民主団体が日本政府に対して「関東大震災朝鮮人虐殺の真相究明」を求める運動をすすめています。
そして、犠牲となられた朝鮮人に対する慰霊の祈りをささげるとともに、日本人によるこのような過ちを再び繰り返さないためにも多くの関係地域で「慰霊祭」が毎年営なまれています。
改めて、この事件は、1910年の朝鮮併合によって朝鮮を植民地化した日本は、1923年に発生した関東大震災という未曽有の災害に遇して、差別と圧殺による植民地統治に抗議する朝鮮人蜂起に恐怖と憎悪を抱いた日本政府・軍部による住民を巻き込んでの官民一体となった犯罪であったと断じざるを得ません。
近年に入っても、朝鮮民主主義人民共和国に対する、拉致・核実験・ミサイル等を理由にする制裁と敵国視、韓国政府に対する、慰安婦・徴用工判決問題などによる総パッシングとヘイトスピーチの放任、高校授業料無償化除外、幼保教育・保育無償化からの除外など、依然として朝鮮人差別・敵視政策が続けられています。
このような国の姿勢、政策を断固として変えていかなければなりません。
一方、朝鮮半島では、2018年以降大きくすすめられた平和にむけた動きがここにきて停滞していますが、停滞を乗り越えた新たな動きが作りだされ、一日も早く平和が達成されることが望まれます。
このような情勢のもと、98周年の慰霊祭をここに開催し、犠牲になられた皆さまに心よりご慰霊申し上げ、日朝・日韓の友好と親善を一層進めてまいります。
2021年9月11日
日朝友好連帯群馬県民会議
藤岡事件を語り継ぐ市民の会
朝鮮人強制連行被害者、遺家族協会 からのメッセージ(「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の集い」宛)
今から98年前、夥しい数の朝鮮人が犠牲となった関東大震災朝鮮人虐殺の惨状を顧みて、すべての犠牲者に深い哀悼の意を表します。
日帝の植民地統治によって住み慣れた故郷を離れ、玄界灘を渡った多くの朝鮮人が無残に虐殺されてから、ほぼ一世紀の歳月が流れました。
災難によって生じた社会政治的混乱の責任をどうにか免れるため、朝鮮人が「放火」し「井戸に毒をまいた」といった流言飛語を捏造し、「朝鮮人撲滅」という一大惨殺劇を繰り広げ、想像を絶する数の罪なき命を奪った日帝に対する怨恨と憤怒は、今もなお我が人民の記憶から消えることはありません。
両親の目の前で幼子たちの首をはね、女性たちを裸にして八っ裂きにし、老若男女数百名を船に詰め込み火を放って水葬させるなど、朝鮮人に加えられた残忍極まりない悪行は、日本人でさえ身震いがする野蛮な行為であり、あまりにも無念で腹立たしい犠牲でした。
しかし何よりも耐え難いことは、日本が敗戦し朝鮮が解放を迎え76年が過ぎても、虐殺犠牲者たちの無念と怨恨がいまだ晴らされていないことです。
日本当局が過去清算を回避することによって、関東大震災の犠牲者のみならず、「浮島丸」爆沈事件と松代大本営虐殺事件、東京大空襲と原爆被害など日本の朝鮮侵略史に刻まれた数多くの虐殺事件と惨劇の犠牲者たち、日本の植民地支配によって傷つけられた我が民族の怨恨はいまだに癒されていません。
さらには、過去に加えられた政治的弾圧と迫害、民族的差別がその家族や子孫である在日朝鮮人にも引き続き加えられており、これは犠牲者を再度殺す非道徳的な反人倫的行為と言わざるをえません。
目も閉じることができず非命に死んでいった犠牲者たちの怨恨は、日本当局が我が国と我が民族に犯した過去の罪を誠実な姿勢と立場で良心的に清算し、不当な反共和国、反総聯政策を放棄し在日朝鮮人に正しく向き合うときに、はじめて晴らされるのです。
私たちは、朝鮮民族が強いられたすべての悲しみと苦しみ、苦痛と被害の歴史を絶対に忘れないであろうし、犠牲者たちの恨を晴らすため自らの責任を果たしていくことでしょう。
また、人倫を尊び平和を愛する良心的な日本の方々が、関東大震災朝鮮人犠牲者の不幸と苦痛を重く受け止め、哀悼の意を示してくださることに対して敬意を表します。
祖国の人民と在日同胞が送る追慕の気持ちと日本人民の慰めによって、犠牲者たちが安らかに眠ることを祈念いたします。
朝鮮人強制連行被害者、遺家族協会
2021年9月1日
昨日8月26日、東京高裁は、群馬県の県立公園にある朝鮮人労働者の追悼碑の設置期間更新を認めない処分をした県に対し、市民団体・『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が認めるよう求めた訴訟の控訴審判決で、県の処分を違法とした一審・前橋地裁判決(2018年2月)を取り消し、市民団体の請求を棄却しました。高橋譲裁判長は「県の処分には正当な理由がある」と述べました。
控訴審判決では、県は04年に追悼碑の設置を許可する際、「宗教的・政治的行事を行わない」とする条件を設け、原告の前身団体は県との協議で追悼碑に「強制連行」と記載するのを見送ったのに、05~12年に追悼碑前で開いた3回の追悼式で団体幹部らが「強制連行」などの発言をした、という言いがかりをつけて、群馬県が14年に追悼碑の設置期間更新を認めなかった事に対して判決は、市民団体の行為を「歴史的認識に関する主義主張を訴えるための政治的行事」と判断。その上で「追悼碑は中立的な性格を失い、日韓、日朝の相互の信頼を深めるなどの効用も損なわれた」とし、更新を認めなかった県の処分を適法としたという、めちゃくちゃなものでした。
なお、一審前橋地裁判決も追悼式は政治的行事に該当するという反動的部分もありましたが、「それだけでは追悼碑が公園にふさわしくないとは言えない」として市民団体側の請求を認めていました。
高橋譲裁判長とは
2011年の福島原発事故以降に千葉地裁や福島地裁、大阪高裁を歴任した裁判官です。 大阪高等裁判所時代に裁判長として2018年9月27日に判決を出したのが左の事件。
大阪朝鮮高校を高校授業料無償化の対象から外したのは違法として、運営する学校法人が国に処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決をくだしたのが、大阪高裁・高橋譲裁判長。「学校は朝鮮総連から不当な支配を受けている疑いがある」と言いがかりをつけて、国の処分を違法として無償化するよう命じた1審・大阪地裁判決を取り消し、学校側の訴えをしりぞけました。
左は、1996年8月15日にNHKが全国放送した番組です。これが社会の常識だったから、群馬県立公園内に朝鮮人慰霊碑が建立されたのです。
NHKスペシャルで放送された強制連行犠牲者たちの遺骨。
下は、強制連行された人々の記録『間組百年史』から。資料の出典は群馬県知事引継書。
高崎金曜日行動は、毎週金曜日19:30~20:00、高崎駅西口ロータリーの西北角で、休むことなく続いています。写真は8/13,8/15のもの。ぜひご参加ください。
全国の金曜日行動の力で原発なくそう!祝・首相官邸前金曜行動再開!
冗談じゃない!汚染水海洋放出!
10年たっても手も足も出せない福島第一原発のデブリ。
頬かむりをして、再稼働に突き進んできた安倍・菅の自民党。
こんな人たちの言う「安全」を誰が信じるのか?
久しぶりに高崎金曜日行動に参加してくれた保育園の労働者がマイクを握って訴えてくれた。いまだに、山には放射能が残っている。安心して子供たちを遊ばせることができない。
放射能・被曝による健康被害は目には見えない。ガンだけではない。脳血管や心疾患、免疫異常…
外部被曝だけではない。私たちは内部被曝を受け続ける。放射能によって私たちの様々な細胞が破壊され、様々な健康上の障害が引き起こされる。3・11原発事故が原因だと証明することは困難であるが、デブリに近づいたら1時間で間違いなくみんな死ぬのと同じくらい、それは確かな事実のはずなのだ。
何が確かなのか?
何を信じてはいけないのか?
汚染水の海洋放出を安全という人間を信じてもいいのか?
10年目の総括を私たちはしっかりしなくてはいけない。
私たちの総括は連帯。海を越えて韓国・サムチョクの仲間たちの火力発電所建設反対に連帯する。
2021年3月31日、3・7群馬さよなら原発アクション実行委員会が開かれて、実行委員会の仲間と感想と反省点、総括を出し合いました。誰もが、内容的にも、500人という参加者数も、とても大成功だったと語りました。そして来年2022年も3月6日(日)11年目の群馬さよなら原発アクションを行うとの確認をすることができました。
この実行委員会で、群馬の損害賠償請求裁判原告の丹治さんが、原発をなくす前橋連絡会の仲間がまとめてくれた海渡雄一弁護士の当日の講演録を配布してくださり、海渡弁護士の了解も得て、原発をなくす前橋連絡会の了解も得て、拡散に使ってよろしいとのご厚意を頂きました。10年目の3・11、この10年を総括し、これからの闘いの方向性と展望を示してくれたとても重要な講演でした。この場で、シェアさせていただきます。ぜひ、ご一読ください。
2021/3/7
(原発をなくす前橋連絡会)
《『3・7/さよなら原発アクシ∋ン』/海渡雄一弁護士の講演》
■会場となった高崎城址公園には、県内各地から500名を超える参加者が集まりました。福島第一原発事故から10年。群馬県では『事故が起きた3月11日を忘れない」をスローガンに、原発ゼロをめざす集会とデモ行進を毎年行っています。(昨年はコロナの感染拡大のために中止となりました)
今年は、原発事故の裁判全般に幅広く関わり、刑事裁判においては告訴した本人で、被害者代理人として検察官役の指定代理人と一緒に38回すべての公判に出ていた海渡雄一弁護士のお話しを聞くことが出来ました。内容を紹介します。
■「地震調査研究推進本部」と「長期評価」について■
※「地震調査研究推進本部」は、1995年1月の阪神淡路大震災地震を契機に設立された国の地震調査・研究の要の組織で、同年6月、地震防災対策特別措置法によって制定され、国の防災対策の基本となる地震対策の地震予測の情報を提供する重要な機関で、総理府に設置されました(現在は文科省に設置)。
※「長期評価」とは、2002年7月に地震調査研究推進本部が策定したもので、日本海溝沿いにおいて過去に起こった海溝型地震を分析し、将来起こりうる地震について領域毎に整理して示したもの。「長期評価」によれば、日本海溝沿いのどこでも、巨大地震が発生し巨大津波が押し寄せる可能性があることが指摘されていました。
■「生業訴訟」と「生業判決」について■
原発事故の地元・福島県で、東電や国を相手取って裁判に立ち上がったグループは、地域を中心にいくつもありますが、「生業を返せ、地域を返せ」と提訴したグループを通称「生業訴訟」と呼び、原告は約4000人と全国最大の訴訟団として原賠裁判の中心的な役割を果たしています。その裁判の控訴審・仙台高裁判決が2020年9月30日に出されましたが、一審を上回る原告勝訴の判決で、津波の予見可能性を「長期評価」の知見に基づいて認め、国の責任についても「不誠実ともいえる東電の報告を唯々諾々と受け入れるものとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかった」として国の責任を断罪しました。
☆☆☆☆☆
みなさんこんにちは、弁護士の海渡です。
昨日に引き続いてお話しをさせていただきます。昨日は1時間パワーポイントを使ってじっくりお話しをさせて頂き、今日も25分もお話しをさせて頂けるという事で一応レジメを準備してありますが、風が強いので飛んでしまうかもしれませんので、後でじっくり読んで頂きたいと思います。
福島原発事故後の4つの原発関連訴訟
私が話したい事は、はじめに結論から先に言いますと、福島原発事故の責任を明らかにするということは、日本を脱原発にしていくための重要な出発点になるということで、そのためにたたかわれている裁判というのは
① 被害にあった住民の国・東電に対する損害賠償請求訴訟
② 東電役員の刑事責任を明らかにするための刑事訴訟
③ 東電役員の民事責任を明らかにする株主代表訴訟
④ 原発再稼働を止め、設置許可の取り消しなどを求める民事訴訟・行政訴訟
があります。実は、これらの裁判の争点はすごく良く似ていて証拠も同じ内容です。
私がやっている刑事裁判は、福島をはじめ全国の人たちが告発をして検察が不起訴にしましたが検察審査会が二度にわたって検察の不起訴を覆して「起訴相当」の結論を出したことによってこの裁判を開くことが出来たんです。
こうして、市民の目で見ておかしいと起訴してもなかなか証拠がなくて有罪にすることが難しいと報道されたこともありましたが、37回、判決公判を入れると38回の裁判の中で、驚くべき証拠の数々がこの刑事裁判の中で明らかにされました。
刑事裁判の中で明らかになった、驚くべき事実
その1、この事故で双葉病院の関係者の多くの方が亡くなりましたが、どういう状況で亡くなったのかその悲惨な状況が余すところなく立証されました。
※刑事裁判は、原発事故により双葉病院の患者さんが避難する際、過酷過ぎる状況に置かれて命を落とされました。その責任は事故を起こした東京電力にあり、「業務上過失致死傷罪」に当たるとして住民が刑事告訴した事件です。
みなさん、避難の経路に随分時間がかかり過ぎて亡くなったと思われているかも知れませんが、3月11日に事故が起きたのですが、最終的な避難が完了するのが16日で5日もかかっているわけで、医療スタッフは最後まで残ろうとしましたが、ここは危険だと言うことで警察の手で強制避難させられてしまいます。ですから患者だけが取り残されるという悲惨な状態が生まれていました。第3陣の避難が3月14日、第4陣が15日の朝なのですが、自衛隊の人たちの調書が残っていますが、放射能の塊が近づいて来る様に線量計が鳴り出して、避難のための活動を一時中止するんですね。そこで患者さんを取り残して撤退せざるを得ない状況が起きていた。そういう中でたくさんの方が亡くなっていったという状況が起きていたことがはっきり分かりました。
その2、東京電力の内部で津波対策が必要であることが、経営トップがみんな参加する会議で確認されていたことが分かっています。
2008年2月なのですが、役員会ではなく御前会議という、勝又社長が天皇みたいなのでそういう名前が付いたと思うのですが、休日の日に一日潰して、社長・副社長・原子力担当重役・原発の所長がみんな出る、本店の部長も出る、そして原子力設備管理部の部長が当時吉田氏、ナンバー2が山ドさんという人なんですが、副部長達が数十人揃う100人位の会議が行われていました。
その場で、政府が決めた推本(地震調査研究推進本部)の「長期評価」=福島沖でもM8を超える大きな津波地震が起きる、この評価に対応した対策を取るという方針が了承されていたんです。この事実は政府事故調の報告書にも載っていません。この年の6月に15.7mの津波が来るということに対応するための会議が行われたということは政府事故調のレポートに載っていますが、その前に政府の出した長期評価に基づいて対策を取るという方針が確立していたことがはっきり分かりました。
15.7mの津波予測を国に報告したのは3月7日で、福島県には報告せず
その年の3月の末に東電は福島県に説明に行っています。バックチェックの中間報告を出すにあたっての説明ですが、そこでも「長期評価」に基づく津波対策をやりますという説明をすることを決めたQAが残っていることも刑事裁判の証拠の中で明らかになってきました。長期評価に対応するためには15.7mの高さの津波に対応しなければならないという計算は政府事故調の報告書にも載っているんですが、原発に反対している皆さんの中で、こうしたことをどれ位の方が知っていますか。知っている人…少しだけ手が上がっていますね。
この計算は、政府事故調では念のための試算という位置づけにされているのですが、東京電力が5000万円もの予算で計算を発注している訳です。バックチェックにおいて、津波対策を取るための基準になる津波を計算で出す為にやったことなんですね。だけれども、そのことは国にも県にも知らされていなかった。この15.7mの津波の計算というのが、国に提出されたのが、実は2011年3月7日なんです。県には最後まで知らされなかったのです。この事を知っていた人…少しだけ手が上がっていますが、原発に反対している人の中でもこの状態というのは余り良くないと思います。我々の努力不足なのかも知れませんが、今日のレジメの中にも書いてありますが、もっと深く勉強したい人は私の書いた「東電刑事裁判一福島原発事故の責任を誰がとるのか」の本で勉強して欲しい。こうしたことを勉強するのは非常に大事だと思います。
群馬の控訴審判決で欠落していることは、原発の安全性のレベルについての認識
次に、群馬・千葉の避難者訴訟についての東京高裁判決、仙台高裁の「生業訴訟」の判決についてです。地裁段階で沢山判決が出ていますが、高裁レベルでは3つ判決が出ています。群馬判決同様、我々が行っている刑事裁判の判決も東電役員の責任を認めなかったのですが、判断がはっきり分かれています。一体どこで判断が分かれているかという点についてご説明します。一番大きな点は、福島で起きた悲惨な事実を認識しているかどうか、そしてこうした事故を二度と起こしてはいけない、そのために原子力の安全というものをきちっと確保しなければいけないということが書かれている判決では原告側が勝っています。だけれども、私たちが負けた東京地裁の刑事の判決(永渕健一裁判長)でも、群馬の事件についての東京高裁の判決(足立哲裁判長)でも、万が一にでも原発事故を起こしてはいけないという基本が書かれていないばかりか、一般社会の機械に求められるレベルの安全性でいいんだとも書いてあるわけです。
次に推本の「長期評価」の問題です。簡単に説明すると、福島の沖合い=岩手・仙台・千葉の沖合が全部つながっているわけですが、そこでM8を超えるような大きな津波地震が起きる可能性があるので、その津波地震に備えなさいと国の地震調査研究推進本部が「長期評価」を公表します。ここには何十人という地震学者・津波学者が集められていて、その人たちが全員一致でまとめた意見です。しかしこの意見が信用できない、これに基づく対策を取らなくてもいいんだというのが群馬訴訟の高裁判決であり、刑事裁判の東京地裁判決です。
その理屈は、「長期評価」に対して異論を言う人や別の結論の論文を書いた人がいたということをダラダラと書いているのが群馬判決や刑事判決です。とても似ている。ところが、2月19日に東京高裁で出た千葉訴訟の判決は逆転の勝訴判決でしたが、この点について、「いろんな意見があったがそれがコンセンサスとしてまとまったということは、何も議論がなくてまとまったものより価値があり信用性が高いんだ」と言っている。これは、この「長期評価」の部会長を務めて、後に原子力規制委員会の委員長代理もやった島崎邦彦さんが、刑事裁判の証言の中で力説していたことなんですが、このことが、千葉訴訟の東京高裁判決では、その通り認められているんです。
みなさんどう思いますか。国の機関で沢山の意見が出たが、最後は全員一致でまとまった。それを原子力事業者が守らなくてもいいなんておかしいと思いませんか。東電や国の代理人たちはそのような意見を延々と述べる訳ですが、その言い分を唯々諾々と認めるのか、いやその理屈はおかしいと、国の方針で予想される津波に備えなさいと言うのだから、対策をとるのは当たり前でしょうという判断をするかどうか、そこが大きく分かれている点です。
もう一つ分かれているのは、その予測される津波の対策が可能だったかどうかについてです。これは可能なんですね。津波が来た時に建物の中に水が入ってこないようにする水密化技術は完壁に完成していた。防潮堤を建てるのもいいし、建物の入り口をちゃんと水密扉にすることでもいいし、一番考慮するとすれば、水没しては困る非常用の電源のある区画を絶対に水が入らないようにしておくということは、技術者であれば誰でもできることだと言っていることです。しかし、群馬の判決では、水が入ってこないようにする技術は確立していなかったということが書かれているんです。みなさん考えてみて下さい、潜水艦ってありますよね。もの凄い深さまで潜れるんですよ。潜水艦までいかなくても造船用のドックってありますが、半分は水に沈んでいますが絶対に水は入ってきません。そんなことは簡単にできることなんです。私たちは何人もの技術者に聞きましたが、こんなのは何十年も前の技術で簡単にできると言います。「俺に頼んでくれれば1ヶ月でできるよ」という話しなんです。それが、東電や国から「できなかった、難しかった」と言われて、そう思ってしまう浅はかな誤った裁判官がいるんですね。
「生業訴訟」は非常にいい判決なんですが、注目すべきポイントは、どういう地震に備えなければならなかったかという点です。どのようなメカニズムで津波地震が起きるかということが解明されていなかったということを群馬判決などは言っていますが、「生業判決」では、「長期評価」における知見というのは規制権限の行使を義務付ける程度に至っているかどうかいう観点が重要で、「福島県沖に津波地震が起きると考えるかどうかが重要であって、地震が起きるメカニズムの詳細ではない」と言っています。つまり津波地震が起こる科学的なメカニズムまで分かる必要はないのであって、「起きるという知識があるのであれば、対策を取るのが当たり前でしょう」と分かり易く書いている判決です。
堆積物から大津波を予測。対策を要請されていた東京電力
私たちは、刑事裁判ともう一つ東電の役員の民事責任を追及する裁判を行っています。刑事裁判の被告人3人に清水さんと小森さんという当時社長と副社長を加えた5人に対して22兆円の損害賠償を求めている事件です。この裁判では2月22日から証人調べが始まりました。2月26日の裁判では専門家が3人出てきました。我々が申請した専門家が3人証言したのですが、その内ふたりは東芝の技術者で原発の設計をしていた人です。
「津波が来ると分かっていたら対策出来たか」ということについて「絶対に簡単にできた」と言い、ひとりの技術者の方は原子力技術者の前に船を作っていたそうなんですが、「防水技術なんて完壁に100年も前に確立していますよ」ということを言われました。
もうひとりの方は産業技術総合研究所の岡村行信さんという方が証言されたのですが、新聞記事にもなりましたが、彼は仙台とか岩手とか福島辺りで896年に起きた貞観(じようがん)津波というものの堆積物が見つかるかどうか土壌を掘って調べていて、福島原発の直ぐ近くの浪江の請戸浜の辺りでも津波堆積物が見つかり、原発から数キロのところまで津波が来ていたことが分かって、次の大津波の時には原発にも津波が押し寄せるかも知れないという状況でした。この問題は、推本の「長期評価」とは違う視点ですが、これと重なる問題で、岡村さんは、原子力安全保安院という国の機関で、バックチェックの審査委員も務めていたのですが、この貞観津波に対して「国が対策をしなくて大丈夫なのか」ということを言った。その後訪ねてきた東京電力の職員は「津波が来たかどうか、今、更に穴を掘って調べています」と、対策を遅らせるために研究を進めているということを説明するわけです。それに対して岡村さんは何と言ったかというと「『もう調査をするのは無駄なので、直ぐに対策工事をやって下さい』と私は言いました」と証言しました。これは今まで全く出ていなかった事実です。今まで「そういうことは言われていない」と東京電力は国に報告を上げていたのですが、その報告が嘘だということが明らかになりました。
国の審査に関わっていた専門家からも「直ぐに工事をやらなけれぼいけない」と言われていたにもかかわらず、国も対策を命じなったし、東京電力はその事実も隠して、何もしなかった結果がこの事故だということです。
確かに、3月7日に15.7mの津波が来るということを東電から聞いた国の審査担当は「えっ、こんなことは今まで聞いたことがない、対策が遅すぎる」と言って「これから何年か掛けて対策をやっていくつもりです」と言われ「それでは遅過ぎる。指導するかもしれない」というくらいのことを国は言っているんです。東京電力と国との間でこうしたやり取りが行われていたこともほとんど知られていないですね。
この事故がM9という、ほとんどの人が想像もできなかった大地震による大津波によって起こったことは事実ですが、東電の技術者たちは15.7mの津波が福島に来るということをちゃんと事前に予見していて、現実に来た津波は15mでした。ピッタリ当たっていたわけです。しかし、予見していたことに対して対策を取らなかった、これは人災なんだということをはっきりさせることによって、原子力技術者、原子力事業者には原発を運転する高い能力もないし、国にはきちっと管理できるだけの力がないんだということが、はっきりとわかるわけです。だから脱原発をするしかないんだということになるんです。
これから、脱原発の道を切りひらく天王山は群馬訴訟の最高裁
今後の展開で需要なことは、今までお話しをした3つの種類の裁判=損害賠償の裁判、刑事責任と民事責任の裁判=が同時進行していますけれど、最も重要なのは鈴木先生や原告の丹治さんたちがやっている損害賠償請求裁判で、仙台高裁と東京高裁判決の2つの判決が出て、全部が最高裁に上がりました。群馬は逆転で負けたわけです。高裁判決を最高裁で覆すのは難しいとみなさん思われているのではないでしょうか。しかし、この事件では覆せる可能性が高いのです。
なぜか、それは全く同じ争点について高等裁判所でふたつ勝っているわけです。3つの事件は同じ最高裁の5人の裁判官によって裁かれることになると思われます。このことは、何を意味しているかというと、「生業」と千葉の方を活かすとなれば自動的に群馬の事件は逆転勝訴になるわけです。2対1で勝っているので、「生業」と千葉の判決に合わせて群馬の判決を直せば3つまとまって勝つことになります。こちらが負ける時には、「生業」と千葉の事件が取り消されて負けることになるんです。
実は今日私がここに来てお話ししたい核心は、日本の脱原発が実現できるかどうかのたたかいの天王山は群馬訴訟の最高裁の上告審にかかっているということなのです。みなさんに頑張ってもらうしかないんです。勿論、原告団と弁護団にも頑張ってもらいますが、集会に参加されたみなさんに、群馬で勝つということがいかに重要なことかを理解して頂きたい。千葉・「生業」の原告・弁護団も群馬とともに一丸となって奮闘していると思います。勿論、我々刑事裁判も沢山の資料を提供して参りましたが、先ほど報告した株主代表訴訟における岡村さんや東芝の技術者の証言など、これから最高裁で使えるような資料も提供して行きます。
今まで以上に、東電役員の個人責任を問うている刑事裁判と国・東電の損害賠償を求めている裁判の原告団・弁護団・支援の方、みなさんが手を携えて、とにかく群馬の事件の上告審に勝って欲しいということを言うためにやって参りました。その事がこれからの日本全体が脱原発に向かって大きく一歩を踏み出す決定的なポイントになるのではないかと思います。
原発事故を災害として伝承する「伝承館」でいいのか
最後にもう一一つ話したいことがあります。双葉町に「伝承館」という施設が出来た問題です。双葉町の沿岸の近い所に「福島原子力災害伝承館」という建物が立てられました。見に行った方いますか。少しいらっしゃいますが、凄く線量が高い所なので余り行きなさいと勧めづらいですが、私も行ってきました。
常磐線の双葉駅からシャトルバスが出ていて、そこだけは道路が通れますが、その道路の脇は廃城と化していて廃城の中に近代的なビルが建っていて、それが「伝承館」です。
その「伝承館」に行ってみて驚いたのは、先ほど話したような内容は一切書いてないのです。要するに「津波が起きた、原子力災害が起きた、みんな苦労して大変だった」これで終わりですよ。「福島原子力災害」という呼称自体がおかしく「原発事故」です。原因があって結果があるわけで、その原因を作った人たちの責任を問わなければいけないところですが、ここで案内をしている「語り部」という人たちは東電や国の悪口を言ってはいけないことになっています。「伝承館」は、福島県が作ったものですが、こういう形で福島原発事故のことを語り継いではいけないと思います。福島原発事故のようなことを二度と起こさせないために、事故の正確な経過が分かり、その教訓を国民全体が共有できるような施設が必要なのです。そうした施設を国や福島県に作らせることが重要ですが、それが出来ないとしたら、民間がもう一つの「伝承館」、真の「伝承館」を作り、刑事裁判の過程で手にした証拠などを展示して、東電はこんなことまで議論していて対策を取らなかった結果起きた事故で、紛れもない人災なんだということをはっきり日本の歴史に残していくことが脱原発の未来を作るきっかけになるのではないでしょうか。
短い時間でしたがお話しを聞いて頂きありがとうございました。みなさん一緒にがんばりましょう!
「非核の火」の点火、「原発悔恨・伝言の碑」の除幕、「伝言館」の開館
3月11日、福島・楢葉町にある宝鏡寺において「非核の火」点火式と「伝言の碑」除幕式が行われました。「非核の火」は、原爆投下で焼かれた家の火を持ち帰り「広島・長崎の火」として上野東照宮に保管され、「核兵器のない世界」をめざす運動のシンボルとして灯されてきました。そしてこの度、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを結ぶ『非核の火』」として、宝鏡寺の境内に引き継がれました。
「伝言の碑」は、原発建設反対運動の時から中心になって活動していた宝鏡寺住職・早川篤雄氏と安斉科学平和事務所長・安斉育郎氏の両氏によって設置。東電・国の原発をめぐる「傲岸」ぶりと、それを許した住民運動の「力及ばず」の「悔恨」の思いを「伝言の碑」に刻み、「不受理に立ち向かう勇気を!」と呼びかけています。また、同じ敷地に「伝言館」が建設され開館。原爆被害と原発被害を結ぶ展示物が並び、人類が核の被害を繰り返さないためのメッセージの発信の場にして行きます。
3・11反原発福島行動’21に参加
3・7群馬さよなら原発アクションは、500人をこえる参加者で元気の出るメモリアルイベントとして実現することができた。この集会で、被曝労働拒否で労働組合が先頭で闘おうとアピールしてくれた動労水戸の仲間たちとともに、高崎金曜日行動の仲間も3・11反原発福島行動’21に参加した。2人の女性が初めて福島の地を踏んだ。
集会では、飯館村の元いいたてふぁーむ管理人の伊藤延由さん、三春町の写真家の飛田晋秀さん、南相馬市の小高赤坂病院院長の渡辺瑞也さん(体調不良でふくしま共同診療所・布施幸彦さんが代読)が、佐藤幸子さんのコーディネートでトークセッションをした。参加者全体で福島の思いを共有した。
中国から日本に来て、3・11後にも福島に音楽で支援活動を行ったというお二人のステージ。サージュさんの「この街で」に涙する人も多かった。グオミンさんの揚琴は会場全体を感動に包んでしまった。思いのこもったステージだった。
三里塚の市東孝雄さんのアピール、星野暁子さんのアピールに続いて、子ども脱被ばく裁判原告の佐藤さんとNAZENヒロシマ保科さんからの「黒い雨訴訟」の特別報告。ちょうどこの日に子ども脱被ばく裁判の控訴が行われている。動労水戸のアピール。途中、椎名千恵子さんがステージに立って、14:46、黙とう。
地元の稲葉隆一さんのサックスに続いて、浪江町・希望の牧場の吉沢正巳さん、ふくしま共同診療所院長の布施幸彦さんから、ふくしまの決意。
集会宣言を採択して会場の開成山公園から郡山駅へのデモ行進へ。2/13の余震で、震災以来あまり手を入れられることもないまま老朽化した駅前ビルのひび割れが目につく。それを抜けると、今年も右翼が駅前で日の丸・旭日旗を林立させて、デモ隊に罵声を浴びせる。原発なくそう、被曝させるな、この声を押しつぶそうとするこの光景にミャンマーの軍隊・警察のことが頭をよぎる。
そういえば高崎金曜日行動も5年ほど前までは、毎週右翼が街宣車で乗り付けて必死で妨害していたっけな、初めて参加した女性に右翼のことを聞かれて思い出した。
継続は力!タカキンはあらたな10年目に!
首相官邸前の金曜日行動は今月で終わるそうだ。高崎金曜日行動は2021年3月12日から新たな10年目に入った。始まったのは2012年8月なので、正確には10年にはまだ足りない。かつてはにぎやかだった。多いときは100人近い人が立場をこえて集まった。それから確かに人数も顔ぶれもさみしくなった。中央ロータリーも改修工事で使えなくされてしまった。しかし一度も休まずに、毎週声をあげてきた。3・7群馬さよなら原発アクションの成功で元気が出たし、タカキンを続けてきたことの力を実感できた。
11年目に入ったこの日、福島に初めて足を踏み入れた女性が報告。彼女が話したのは希望の牧場の牛の命のことだった。通りかかった自転車の若者が、財布から千円札を取りだして差し出した。マイクを握って、「たかさき!右も左も関係ねぇ!声あげようぜ!」と叫んだ。
高崎金曜日行動はずっと仲間とつながり続けてきたし、新しい仲間との出会いを作り出してきた。団結と連帯の場としてこれからも発展し続ける。高崎から、今日も韓国・三陟(サムチョク)にエールを送る。
※三陟は、粘り強い反対運動で、原発建設計画を撤回させた町。最後は住民投票で勝利した。現在、原発に代わって、火力発電所建設計画が、自然を破壊して、強行されている。サムチョクの仲間たちは、再び立ち上がっている。高崎金曜日行動の仲間が縁があってサムチョクを訪問、それから交流を続けてきた。高崎金曜日行動は、連日の火力発電所建設計画白紙撤回に立ち上がるサムチョクと連帯し、毎週ボードをもってエールを送っています。
サムチョクから
福島へ。
3・11は続いています。
3・7群馬さよなら原発アクションでの動労水戸の発言
【司会】福島原発事故を痛苦な教訓にして、労働者はもとより、乗客と地域の住民の命と安全を守ることを、労働組合の責務として活動しているという、動労水戸からお願いします。
【照沼靖功氏】 集まられた皆さん、こんにちは。動労水戸という組合で書記長をやっています照沼と申します。よろしくお願いいたします。すみません、マスクをしたまま発言させていただきます。
動労水戸について簡単に紹介したいと思います。今、司会の方からもありましたように、震災から「被ばく労働拒否」ということで10年間、闘いを続けてきています。
昨年の3月、ダイヤ改正で常磐線が全線開通されました。私たちはそれに向けて、本当に、震災以降、乗客と現場の労働者を絶対に守り抜こうという闘いを、地域の方々を含めて、労働組合が中心になって闘いを進めてきました。
先月の2月13日に、深夜に地震があったことは、皆さんご承知かと思います。あの地震のあと、新幹線が10日間以上も止まって、常磐線が新幹線の代替輸送を担ったことが、ネットなどでは華々しく言われていますが、その裏には、現場労働者が被ばくと隣り合わせで、そして高線量地帯に列車が走っていることもわからないで乗っている乗客がいっぱいいる。そういう事実をしっかり伝えなければいけない。そういうふうに思って、この間、私たちは闘ってきました。
この全線開通とは何だったのか?
2020年東京オリンピックに合わせて、何が何でも、福島の原発事故はなかったことにする、福島の怒りもなかったことにする。それと一体でやられたのが、常磐線全線開通だったんです。
前総理の安倍さんが言ったのは、「原発はアンダーコントロールされている。」そんなペテンで私たちは被ばくを強いられています。そして、いまだにあの地に還れない、帰りたくても帰れない、そういう人たちがいっぱいいる。
今、社会で労働組合解体っていうような動きがどんどん進められています。JRの中でも、東労組にあれだけの人、組合員がいたのに、労働組合解体が会社だけでなく、社会全体で、進められようとしています。
でも、そういう時だからこそ、やはり現場で、その最前線で闘う労働者、労働者が先頭に立って闘う、それこそが大事だと、私は思います。
(大きな拍手がしばらく続いた)
この全線開通前に、「動労水戸として、何かできないか?」と、試行錯誤して、自分たち独自で、車両の(全線開通のための)試運転を終えた列車の床下についているホコリを採取して、線量を調べたんですね。試運転に使っていない車両と、使った車両(を調べて比較した)。使った車両と言ってもたった5日間しかその場所をはしっていない。比べたら23倍の線量があった。
(右の『東京新聞』記事参照)
それをJR会社に問い詰めたら、会社は何と言ったのか?「その事実は承知した。でも、どういうふうに調べたのかわからないから、こちらはコメントしない。」そんなふうに言って、会社は逃げているんですよ。そして、ペテン的に「鉄道敷地内は除染した。だから安全だ。」と言って列車を走らせています。でも(線路の)フェンスを超えればすぐ高線量地帯なんです。フェンスだけで仕切っている。でも原発から3㎞くらいのところも走っている。それで、「除染したから安全だ。」なんて言えるでしょうか?本当に。
風が吹いたり雨が降れば、放射性物質を含んだチリやホコリが飛んできます。そういう、乗客をだますような形で、「全線開通は素晴らしいことなんだ」という形で、避難とか、原発の危険性などの全てを覆い隠している。
今、会社がやっていることに、私たちは労働組合が先頭になって、闘い続けていきたいと思います。(拍手) さらに先日の地震で、原発の格納容器の水位低下が続いています。
(1号機では1・9mの深さが確保されていたのだが、地震後1・2~0.9mに低下。0・6mを切ると、デブリの状態が監視できなくなります)核燃料プールの水があふれるということも起こています。こんなことはいっさい報道されていません。震災から10年、私たちが闘ってきた被ばく労働拒否という闘いが、またもう一つ問われる節目になっていると思います。
ここに集まった皆さん。そして、全国で原発をなくす、反原発を闘っている人たちといっしょになって、私たち動労水戸も闘っていきたいと思います。
この間、現地調査を2回ほどやってきました。
隣にいる石井さんが行ってきましたので、石井さんの方から、その実態を少し話をしていただきたいと思います。
【石井真一氏】皆さん、たいへんお疲れ様です。動労水戸の石井と申します。先日に、現地調査に行ってきました。
「線量を(常磐線の)車内で測ってみよう」ということで、「ひたち3号」という特急列車があるんですけど、その一番前の座席で測ってみたんですね。
そしたら、座席で「0.756マイクロシーベルト/毎時」っていう値が出ました。車内でそれだけの値が出るということになります。「大野駅と双葉駅という間が、線量計が、ガ、ガ、ガー(擬音)ってあがるんですね。そういう列車が、今も品川と仙台の間を毎日6本、往復3本はしっているということなんですね。その座席は完全に被ばくする。乗客が被ばくすると、当然、運転士や車掌も被ばくしているという状況になっていることがはっきりしました。 去年の7月にも現地調査に行ってきましたが、国道6号線と常磐線が一番近づくところを測ったんですね。そうしたら、20μシーベルト/毎時までしか測れない機器でしたが、それが完全に振り切れました。20μ以上で、どこまで行っているのかわからない状況です。で、JR会社は「敷地内は除染しているから大丈夫、と言っていて、照沼君が仕事をしている勝田車両センター(水戸駅の一つ先)で電車を洗っている。5日間に一度くらい洗うんだけど、その水は垂れ流しで、ひたちなか市の下水道に放射性物質をくっつけたまま流す。 車両の洗車機の上に跨線橋があって、そこで、朝日新聞の元記者のUさんが測ったら0.26マイクロシーベルト。水戸が0.05くらいなんだけど、「かなり上がっているね」とユーチューブにあげています。見てください。 そういうJR職場の実態で、私たちは、このあいだの地震で震度5になった。地震は深夜だったけど、あれが昼間なら電車は(規則で)止めなくてはならない。大野ー双葉間をはしっているときに地震になったら、電車を止めねばならない。運転士や車掌が(何十マイクロシーベルトの高線量地帯を)乗客を避難させなければならない。
郡山の開成山球場というところの会場で、3・11の反原発の集会をやりますので、高崎の皆さんも、これたらぜひ来ていただきたいな、と思いますので、よろしくお願いいたします。