東京高裁・高橋譲裁判長の不当判決弾劾!群馬の森朝鮮人追悼碑裁判

 昨日8月26日、東京高裁は、群馬県の県立公園にある朝鮮人労働者の追悼碑の設置期間更新を認めない処分をした県に対し、市民団体・『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が認めるよう求めた訴訟の控訴審判決で、県の処分を違法とした一審・前橋地裁判決(2018年2月)を取り消し、市民団体の請求を棄却しました。高橋譲裁判長は「県の処分には正当な理由がある」と述べました。

 控訴審判決では、県は04年に追悼碑の設置を許可する際、「宗教的・政治的行事を行わない」とする条件を設け、原告の前身団体は県との協議で追悼碑に「強制連行」と記載するのを見送ったのに、05~12年に追悼碑前で開いた3回の追悼式で団体幹部らが「強制連行」などの発言をした、という言いがかりをつけて、群馬県が14年に追悼碑の設置期間更新を認めなかった事に対して判決は、市民団体の行為を「歴史的認識に関する主義主張を訴えるための政治的行事」と判断。その上で「追悼碑は中立的な性格を失い、日韓、日朝の相互の信頼を深めるなどの効用も損なわれた」とし、更新を認めなかった県の処分を適法としたという、めちゃくちゃなものでした。

 なお、一審前橋地裁判決も追悼式は政治的行事に該当するという反動的部分もありましたが、「それだけでは追悼碑が公園にふさわしくないとは言えない」として市民団体側の請求を認めていました。

 高橋譲裁判長とは

 2011年の福島原発事故以降に千葉地裁や福島地裁、大阪高裁を歴任した裁判官です。 大阪高等裁判所時代に裁判長として2018年9月27日に判決を出したのが左の事件。
 
 大阪朝鮮高校を高校授業料無償化の対象から外したのは違法として、運営する学校法人が国に処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決をくだしたのが、大阪高裁・高橋譲裁判長。「学校は朝鮮総連から不当な支配を受けている疑いがある」と言いがかりをつけて、国の処分を違法として無償化するよう命じた1審・大阪地裁判決を取り消し、学校側の訴えをしりぞけました。
 左は、1996年8月15日にNHKが全国放送した番組です。これが社会の常識だったから、群馬県立公園内に朝鮮人慰霊碑が建立されたのです。
 NHKスペシャルで放送された強制連行犠牲者たちの遺骨。
 下は、強制連行された人々の記録『間組百年史』から。資料の出典は群馬県知事引継書。

高崎金曜日行動は、毎週金曜日19:30~20:00、高崎駅西口ロータリーの西北角で、休むことなく続いています。写真は8/13,8/15のもの。ぜひご参加ください。

全国の金曜日行動の力で原発なくそう!祝・首相官邸前金曜行動再開!

タカキン456回目!現状便り560・561号

タカキン456回目。

入管法改悪反対!

NO HATE! 排外主義反対!

汚染水海洋放出反対!

原発再稼働やめろ!

サムチョクの火力発電所建設絶対反対!

汚染水放出絶対反対!高崎金曜日行動は454回目!

冗談じゃない!汚染水海洋放出!

 10年たっても手も足も出せない福島第一原発のデブリ。

 頬かむりをして、再稼働に突き進んできた安倍・菅の自民党。

 こんな人たちの言う「安全」を誰が信じるのか?

 久しぶりに高崎金曜日行動に参加してくれた保育園の労働者がマイクを握って訴えてくれた。いまだに、山には放射能が残っている。安心して子供たちを遊ばせることができない。

 放射能・被曝による健康被害は目には見えない。ガンだけではない。脳血管や心疾患、免疫異常…

 外部被曝だけではない。私たちは内部被曝を受け続ける。放射能によって私たちの様々な細胞が破壊され、様々な健康上の障害が引き起こされる。3・11原発事故が原因だと証明することは困難であるが、デブリに近づいたら1時間で間違いなくみんな死ぬのと同じくらい、それは確かな事実のはずなのだ。

 何が確かなのか?

 何を信じてはいけないのか?

 汚染水の海洋放出を安全という人間を信じてもいいのか?

 10年目の総括を私たちはしっかりしなくてはいけない。

 私たちの総括は連帯。海を越えて韓国・サムチョクの仲間たちの火力発電所建設反対に連帯する。

4/9は強風で寒かった

3/19。451回目の高崎金曜日行動と現状便り

3/7のサンデーモーニング 「東日本大震災から10年…原発事故の真相」より

ひどいもんです。「忘れない」の前に「知らされていない」。

それが10年目の現実。

闘いは続いています。

高崎金曜日行動(タカキン)は451回目。

今週も韓国・サムチョクの火力発電所建設に反対する仲間たちにエールを送る。

あらたな10年目にチャレンジ・高崎金曜日行動

3・11反原発福島行動’21に参加

 3・7群馬さよなら原発アクションは、500人をこえる参加者で元気の出るメモリアルイベントとして実現することができた。この集会で、被曝労働拒否で労働組合が先頭で闘おうとアピールしてくれた動労水戸の仲間たちとともに、高崎金曜日行動の仲間も3・11反原発福島行動’21に参加した。2人の女性が初めて福島の地を踏んだ。

 集会では、飯館村の元いいたてふぁーむ管理人の伊藤延由さん、三春町の写真家の飛田晋秀さん、南相馬市の小高赤坂病院院長の渡辺瑞也さん(体調不良でふくしま共同診療所・布施幸彦さんが代読)が、佐藤幸子さんのコーディネートでトークセッションをした。参加者全体で福島の思いを共有した。

 中国から日本に来て、3・11後にも福島に音楽で支援活動を行ったというお二人のステージ。サージュさんの「この街で」に涙する人も多かった。グオミンさんの揚琴は会場全体を感動に包んでしまった。思いのこもったステージだった。

 三里塚の市東孝雄さんのアピール、星野暁子さんのアピールに続いて、子ども脱被ばく裁判原告の佐藤さんとNAZENヒロシマ保科さんからの「黒い雨訴訟」の特別報告。ちょうどこの日に子ども脱被ばく裁判の控訴が行われている。動労水戸のアピール。途中、椎名千恵子さんがステージに立って、14:46、黙とう。

 地元の稲葉隆一さんのサックスに続いて、浪江町・希望の牧場の吉沢正巳さん、ふくしま共同診療所院長の布施幸彦さんから、ふくしまの決意。

 集会宣言を採択して会場の開成山公園から郡山駅へのデモ行進へ。2/13の余震で、震災以来あまり手を入れられることもないまま老朽化した駅前ビルのひび割れが目につく。それを抜けると、今年も右翼が駅前で日の丸・旭日旗を林立させて、デモ隊に罵声を浴びせる。原発なくそう、被曝させるな、この声を押しつぶそうとするこの光景にミャンマーの軍隊・警察のことが頭をよぎる。

 そういえば高崎金曜日行動も5年ほど前までは、毎週右翼が街宣車で乗り付けて必死で妨害していたっけな、初めて参加した女性に右翼のことを聞かれて思い出した。

継続は力!タカキンはあらたな10年目に!

 首相官邸前の金曜日行動は今月で終わるそうだ。高崎金曜日行動は2021年3月12日から新たな10年目に入った。始まったのは2012年8月なので、正確には10年にはまだ足りない。かつてはにぎやかだった。多いときは100人近い人が立場をこえて集まった。それから確かに人数も顔ぶれもさみしくなった。中央ロータリーも改修工事で使えなくされてしまった。しかし一度も休まずに、毎週声をあげてきた。3・7群馬さよなら原発アクションの成功で元気が出たし、タカキンを続けてきたことの力を実感できた。

 11年目に入ったこの日、福島に初めて足を踏み入れた女性が報告。彼女が話したのは希望の牧場の牛の命のことだった。通りかかった自転車の若者が、財布から千円札を取りだして差し出した。マイクを握って、「たかさき!右も左も関係ねぇ!声あげようぜ!」と叫んだ。

 高崎金曜日行動はずっと仲間とつながり続けてきたし、新しい仲間との出会いを作り出してきた。団結と連帯の場としてこれからも発展し続ける。高崎から、今日も韓国・三陟(サムチョク)にエールを送る。

※三陟は、粘り強い反対運動で、原発建設計画を撤回させた町。最後は住民投票で勝利した。現在、原発に代わって、火力発電所建設計画が、自然を破壊して、強行されている。サムチョクの仲間たちは、再び立ち上がっている。高崎金曜日行動の仲間が縁があってサムチョクを訪問、それから交流を続けてきた。高崎金曜日行動は、連日の火力発電所建設計画白紙撤回に立ち上がるサムチョクと連帯し、毎週ボードをもってエールを送っています。

サムチョクから

サムチョク郵便局前の水曜日行動
大統領府前でもサムチョク火力発電所建設計画白紙撤回を求めてアピール行動が続けられている。
観光地でもあるサムチョクの海岸が火力発電所建設工事によって破壊されている。海岸でも抗議行動。
2018年の反原発福島行動にビデオメッセージを送ってくれたサムチョク原発反対住民運動のリーダー・パクホンピョ神父。2021年の3・11にフェイスブックに投稿してくれた韓国大統領府前からのエール。
だだい大統領府前大統領府前

3・11反原発福島行動へ。労働組合は被曝労働拒否で闘おう。

福島へ。

3・11は続いています。

3・7群馬さよなら原発アクションでの動労水戸の発言

【司会】福島原発事故を痛苦な教訓にして、労働者はもとより、乗客と地域の住民の命と安全を守ることを、労働組合の責務として活動しているという、動労水戸からお願いします。

【照沼靖功氏】 集まられた皆さん、こんにちは。動労水戸という組合で書記長をやっています照沼と申します。よろしくお願いいたします。すみません、マスクをしたまま発言させていただきます。

 動労水戸について簡単に紹介したいと思います。今、司会の方からもありましたように、震災から「被ばく労働拒否」ということで10年間、闘いを続けてきています。

 昨年の3月、ダイヤ改正で常磐線が全線開通されました。私たちはそれに向けて、本当に、震災以降、乗客と現場の労働者を絶対に守り抜こうという闘いを、地域の方々を含めて、労働組合が中心になって闘いを進めてきました。

 先月の2月13日に、深夜に地震があったことは、皆さんご承知かと思います。あの地震のあと、新幹線が10日間以上も止まって、常磐線が新幹線の代替輸送を担ったことが、ネットなどでは華々しく言われていますが、その裏には、現場労働者が被ばくと隣り合わせで、そして高線量地帯に列車が走っていることもわからないで乗っている乗客がいっぱいいる。そういう事実をしっかり伝えなければいけない。そういうふうに思って、この間、私たちは闘ってきました。

 この全線開通とは何だったのか?

 2020年東京オリンピックに合わせて、何が何でも、福島の原発事故はなかったことにする、福島の怒りもなかったことにする。それと一体でやられたのが、常磐線全線開通だったんです。

 前総理の安倍さんが言ったのは、「原発はアンダーコントロールされている。」そんなペテンで私たちは被ばくを強いられています。そして、いまだにあの地に還れない、帰りたくても帰れない、そういう人たちがいっぱいいる。

 今、社会で労働組合解体っていうような動きがどんどん進められています。JRの中でも、東労組にあれだけの人、組合員がいたのに、労働組合解体が会社だけでなく、社会全体で、進められようとしています。

 でも、そういう時だからこそ、やはり現場で、その最前線で闘う労働者、労働者が先頭に立って闘う、それこそが大事だと、私は思います。

(大きな拍手がしばらく続いた)

 この全線開通前に、「動労水戸として、何かできないか?」と、試行錯誤して、自分たち独自で、車両の(全線開通のための)試運転を終えた列車の床下についているホコリを採取して、線量を調べたんですね。試運転に使っていない車両と、使った車両(を調べて比較した)。使った車両と言ってもたった5日間しかその場所をはしっていない。比べたら23倍の線量があった。

 (右の『東京新聞』記事参照)

 それをJR会社に問い詰めたら、会社は何と言ったのか?「その事実は承知した。でも、どういうふうに調べたのかわからないから、こちらはコメントしない。」そんなふうに言って、会社は逃げているんですよ。そして、ペテン的に「鉄道敷地内は除染した。だから安全だ。」と言って列車を走らせています。でも(線路の)フェンスを超えればすぐ高線量地帯なんです。フェンスだけで仕切っている。でも原発から3㎞くらいのところも走っている。それで、「除染したから安全だ。」なんて言えるでしょうか?本当に。

  風が吹いたり雨が降れば、放射性物質を含んだチリやホコリが飛んできます。そういう、乗客をだますような形で、「全線開通は素晴らしいことなんだ」という形で、避難とか、原発の危険性などの全てを覆い隠している。

 今、会社がやっていることに、私たちは労働組合が先頭になって、闘い続けていきたいと思います。(拍手) さらに先日の地震で、原発の格納容器の水位低下が続いています。

(1号機では1・9mの深さが確保されていたのだが、地震後1・2~0.9mに低下。0・6mを切ると、デブリの状態が監視できなくなります)核燃料プールの水があふれるということも起こています。こんなことはいっさい報道されていません。震災から10年、私たちが闘ってきた被ばく労働拒否という闘いが、またもう一つ問われる節目になっていると思います。

 ここに集まった皆さん。そして、全国で原発をなくす、反原発を闘っている人たちといっしょになって、私たち動労水戸も闘っていきたいと思います。   

 この間、現地調査を2回ほどやってきました。

 隣にいる石井さんが行ってきましたので、石井さんの方から、その実態を少し話をしていただきたいと思います。

 【石井真一氏】皆さん、たいへんお疲れ様です。動労水戸の石井と申します。先日に、現地調査に行ってきました。

 「線量を(常磐線の)車内で測ってみよう」ということで、「ひたち3号」という特急列車があるんですけど、その一番前の座席で測ってみたんですね。

 そしたら、座席で「0.756マイクロシーベルト/毎時」っていう値が出ました。車内でそれだけの値が出るということになります。「大野駅と双葉駅という間が、線量計が、ガ、ガ、ガー(擬音)ってあがるんですね。そういう列車が、今も品川と仙台の間を毎日6本、往復3本はしっているということなんですね。その座席は完全に被ばくする。乗客が被ばくすると、当然、運転士や車掌も被ばくしているという状況になっていることがはっきりしました。            去年の7月にも現地調査に行ってきましたが、国道6号線と常磐線が一番近づくところを測ったんですね。そうしたら、20μシーベルト/毎時までしか測れない機器でしたが、それが完全に振り切れました。20μ以上で、どこまで行っているのかわからない状況です。で、JR会社は「敷地内は除染しているから大丈夫、と言っていて、照沼君が仕事をしている勝田車両センター(水戸駅の一つ先)で電車を洗っている。5日間に一度くらい洗うんだけど、その水は垂れ流しで、ひたちなか市の下水道に放射性物質をくっつけたまま流す。  車両の洗車機の上に跨線橋があって、そこで、朝日新聞の元記者のUさんが測ったら0.26マイクロシーベルト。水戸が0.05くらいなんだけど、「かなり上がっているね」とユーチューブにあげています。見てください。 そういうJR職場の実態で、私たちは、このあいだの地震で震度5になった。地震は深夜だったけど、あれが昼間なら電車は(規則で)止めなくてはならない。大野ー双葉間をはしっているときに地震になったら、電車を止めねばならない。運転士や車掌が(何十マイクロシーベルトの高線量地帯を)乗客を避難させなければならない。        

郡山の開成山球場というところの会場で、3・11の反原発の集会をやりますので、高崎の皆さんも、これたらぜひ来ていただきたいな、と思いますので、よろしくお願いいたします。

#安倍晋三の逮捕を求めます

 「#安倍晋三の逮捕を求めます」のハッシュタグのツイートが広がるかと思いきや、いまいちの伸び悩み。「#検察庁法改正案に抗議します」くらいの「トレンド」になるか、いや、したいなと思ったのですが。

 それを象徴するかのように、「安倍を監獄へ」というコールに、クレームをつける酔っ払いの男性。こういう議論は、理路整然とちゃんとやって、できるだけたくさんの人を巻き込んだ議論にする必要があると思う。

 安倍は、国の行政のトップでありながら、平然と嘘をついた。それは知らなかったでは済まされない。知らないという時点で、この人は責任を取れない人だということだ。一国の総理大臣など問題にならない人だ。

 今の総理大臣は、安倍政権の官房長官であり、安倍と同罪はまぬかれない。

 要するに、「桜を見る会」問題で、安倍-菅は、終わったのだ。

 終わらせることができないならば、それは「国民」の責任であり、あらゆる政治党派の責任である。

 襟を正して、ちゃんとやろう。

 国際連帯も、自分たちの政府を相手にしっかり闘うことがスタートだ。

 高崎金予備行動は11月26日で435回目。

 サムチョクとの連帯が続く。

8・6ヒロシマ大行動報告&現状だより

高崎金曜日行動にいつも参加して仲間が、8・6ヒロシマ大行動に参加してきました。

以下、報告です。

高崎金曜日に参加している3名で被爆75年目を迎える広島へ。

「75年は草木も生えぬ」と言ったのは、原爆製造のマンハッタン計画を担ったハロルド・ジェイコブソン博士で、原爆投下の二日後の8月8日付ワシントンポスト紙上に報道された。すぐに同計画を主導したオッペンハイマー博士がこれを否定し、ジェイコブソン博士も撤回したという。

確かに75年目を迎えた広島は、緑豊かな広島だった。

しかし75年後の現在も、原爆被害の問題は、まったく解決していない。

それを象徴するように、7月29日の「黒い雨訴訟」の判決が降りた。

75年苦労してやっと被爆者として認められた方々がいる。

いや、いまだに認められない方々も数知れない。

8・6ヒロシマ大集会で発言してくれた「黒い雨訴訟」を支援してきた広島大学の名誉教授が、学会などは聞く耳も持たず、まるで変わらない、まだまだこれからだという話をされた。

8・6ヒロシマ大行動は、毎年被爆者・被爆2世・3世を中心として実行委員会を組織して闘われてきた。

新型コロナの感染拡大で開催も危ぶまれる中で、感染対策を万全に期しての開催。

他の記念行事、集会の多くが中止の中、とても重要な大行動となった。

実は新型コロナ以前に、ヒロシマ大行動を開催させない、とりわけ朝の記念式典にあわせた、原爆ドーム前の集会とデモを禁止する動きがこの2年ほど大きな焦点となった。

広島市が騒音規制条例を作って、デモを規制しようと動き出した。

安倍政権にとっては、毎年記念式典でのスピーチを直撃する「安倍はかえれー!」「改憲をゆるさないぞー!」というデモの声、そしてその背後にある、戦争・核戦争を絶対に許さないというヒロシマの声が容認できないのだ。

広島は保守も含めて、戦争と核には反対の声が強い。当然だ。

安倍はこの広島の反戦・反核の空気をぶっ飛ばさないことには、改憲の展望は見えてこない。

河井克行・案里の汚職事件は、安倍が1億5000万円もの選挙資金を提供して、当選させ、安倍子飼いの改憲派の制圧力を高めて、広島の反戦・反核意識を叩き折ろうというものだった。検察庁トップもまた黒川という安倍の子飼いになれば、汚職・買収の責任も問われない…はずであった。

こうした一連の動きの中で、広島市の騒音規制条例によるデモの禁止攻撃が強まってきたのだ。

この攻撃の先兵役を担ってきたのが、在特会・日本第一党の桜井誠(本名:高田誠)だ。もう何年もほとんど毎年、8・6ヒロシマ大行動の原爆ドーム前集会に乗り込んで、右翼の妨害の陣頭指揮を執ってきた。そのやり方は、右翼にちょっかい出させて警察の介入と弾圧を狙う、トランジスタメガフォンで騒いで集会を妨害するというものだった。

去年は、騒音規制条例で排除できると前のめりでやっていたが、結局排除できずにうなだれていた。

そして今年は、大きく戦術を変えた。

何と東京はじめ全国から女性を中心とした数十名の偽装「広島市民」部隊を作り、日本第一党広島県本部長の指揮の下で、無言で「静かに祈ろう」「慰霊のじゃまをしないで」「広島市民」などのボードを持って、集会会場の中に立ち尽くしたり、デモのコースに並んで配置したりしたのだ。

マスクでまんまと「広島市民」になりすましたつもりだったようだが、羽田空港からの航空チケットを落としてしまったり、あちこちで化けの皮がはがれた。在特会や日本第一党の活動家であることは、写真を色々照合すれば明らかになるだろう。中には広島市民がいるかもしれないが、ほとんどは絶対に広島市民ではない。

日本第一党広島県本部長がツイキャスで実況中継…

デモは、こうした珍奇な戦術を鼻で笑いながら、意気高く、整然と闘われた。

安倍は新型コロナ対策で虫の息、さらに広島・長崎のスピーチ・記者会見が物笑いの種と化す末期症状を呈している。

今年の8・6ヒロシマ大行動が作ったパンフレットの中に衝撃的な資料があった。

原爆投下から1年後の1946年8月6日の中国新聞の一面大見出し。

「けふぞ巡り来ぬ平和の閃光」

原爆が「平和の閃光」として、この広島で讃えられていたいたという事実。

調べてみるとまだあった。

1946年7月2日、木原広島市長がビキニの核実験で談話を発表している。

「広島に対する原子爆弾が世界の平和を促進し、市民の犠牲がその幾百倍、幾十倍の世界人類を戦争の悲劇から救出することができた。ビキニ実験は広島の当時の惨状を改めて世界に訴える好機である。世界の同情は自ずから広島に集まるであろう。平和をもたらした原子爆弾が破壊のためでなく、永遠の平和を確立し原子力が人類の幸福のために利用されることを念願する。」

この木原市長とはどういう人物か?

【木原七郎
木原 七郎(きはら しちろう、1884年(明治17年)1月25日[1] – 1951年(昭和26年)12月24日[2])は、衆議院議員(立憲民政党)、最後の官選広島市長。ジャーナリスト。
広島県会議員を経て、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3期務めた。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下で広島市が壊滅し粟屋仙吉市長も被爆死すると、同年10月その後任として同市長に就任、最後の官選広島市長となった。復興審議会を発足させて委員長に元市長の藤田若水を起用するなど、戦災からの復興に尽力したが、1947年(昭和22年)に公職追放で退任した。退任後はかつて自分の元で助役を務め後任市長(初代公選市長)となった浜井信三を陰から支え続けた。】(ウイキペディア)

侵略戦争を支えた権力者が、戦後、天皇制や侵略戦争への反省の言葉もなく、手のひらを返したように「広島に対する原子爆弾が世界の平和を促進」したと言い放つ。残念ながらこれを引っくり返せていない日本の戦後史。

ますます日本の労働者市民は、騒がないわけにはいかない。

平和公園が整備されるまでは原爆ドームの周りはお墓でいっぱいだったようです

Black Lives Matter(BLM、黒人の命は大切だ)→人間の命は大切だ!

アメリカの警察官による黒人ジョージ・フロイドさんの虐殺に抗議してはじまった抗議運動。

いまや人種差別と排外主義に抗議する民衆の闘いとして世界中で大きく広がっています。

これが単に黒人の闘いにとどまらずに、白人も含めて、世界中のあらゆる人種と民族の闘いとして、連帯を求める闘いとして、広がっていることが重要です。

新型コロナウイルス感染拡大は、資本主義=新自由主義の発展が、もはや未知の、人類が予測できないような生存の危機を引き起こすことを示しました。

人間が人間として、生きていくために、連帯こそが、必要だということが明らかになっています。

高崎金曜日行動も、その連帯の一翼を担いたいと思います。